Column

なぜ医師から見て不可解な医療判決が生まれるのか

医師と話をしていると、医療訴訟の判決について、次のような相談や感想を聞くことがあります。

「なぜこの事案で病院側が負けるのか分からない」

「医学的には明らかにおかしい判断ではないか」

「この判決は、実際の医療現場を分かっていないのではないか」

「裁判官は医療を理解しているのか」

医師から見れば、医療訴訟の判決の中には、違和感を覚えるものがあるようです。

私自身、医師として医療現場を経験し、その後に弁護士として医療訴訟に関与している立場から、医師がそのように感じる場面があることは理解できます。

医療現場の実感からすれば、この判断は厳しすぎるのではないか。

この病態でその結果を回避することは困難だったのではないか。

診療録の一部だけを切り取って評価しているのではないか。

後から振り返った理想論になっているのではないか。

そのように感じられる判決は、確かに存在します。

しかし、不可解な医療判決が生まれる理由は、単に裁判官が医療を知らないからという一言では片付けられません。

もちろん、裁判官は医師ではありません。

医学的知識には限界があります。

医療現場の実情を十分に理解していないこともあります。

医師の「当然」は、裁判官の「当然」ではない

しかし、民事訴訟の構造そのものにも、医師から見ると分かりにくい特徴があります。

その代表が、弁論主義と主張立証責任です。

民事訴訟では、裁判所がすべての医学的真実を自ら調査し尽くして判断するわけではありません。

基本的には、当事者が主張し、証拠を提出し、その範囲で裁判所が判断します。

つまり、医師側に有利な事情であっても、弁護士が適切に主張し、証拠として提出しなければ、判決に十分反映されないことがあります。

医師から見ると、「そんなことは医学的に当然だ」と思うことがあります。

しかし、裁判官にとっては当然ではありません。

裁判所は、医学部で教育を受けているわけではありません。

日々診療をしているわけでもありません。

医師にとって当たり前の臨床判断であっても、それが訴訟上どのような意味を持つのかを、弁護士が裁判所に分かるように説明しなければなりません。

この説明が不十分であれば、裁判所は医師側の言い分を正しく理解できません。

例えば、医師側から見れば不可避的な合併症であっても、その不可避性が裁判所に伝わらなければ、「適切な対応をしていれば避けられたのではないか」と判断される可能性があります。

患者の病態が急激に進行した事案であっても、その病態の進行の医学的特徴が十分に説明されなければ、裁判所は「もっと早く対応できたのではないか」と考えるかもしれません。

検査を実施しなかったことに合理的理由がある場合でも、その理由が具体的に主張されなければ、単に「必要な検査を怠った」と評価される可能性があります。

このように、医療訴訟では、医学的に正しいことが、そのまま裁判所に伝わるわけではありません。

弁護士が医療を理解していないと、何が起こるか

医療を、法律の言葉に翻訳する必要があります。

この翻訳を担うのが弁護士です。

ところが、弁護士が医療を十分に理解していない場合、この翻訳がうまくいきません。次のようなことが起こります。

  • 医師が説明した医学的内容を、訴訟上重要な事実として整理できない
  • 診療録の重要な記載を見落とす
  • 医学的に争うべきポイントを主張できない
  • 相手方の医学的主張の誤りを指摘できない
  • 裁判官が誤解しやすい点を先回りして説明できない

その結果、裁判所は不十分な材料に基づいて判断することになります。

判決だけを見ると、医師からは不可解に見える。

しかし、その背景には、医師側代理人が適切に主張立証できていなかったという問題がある場合があります。

後知恵の危険を、どう排除するか

もちろん、すべての原因が弁護士にあるわけではありません。

裁判官の医療理解に限界があることもあります。

医療訴訟において、裁判官が医学的争点を十分に理解できず、結果から逆算した判断をしているように見えることもあります。

医療現場では、限られた時間、限られた情報、限られた人員の中で判断が行われます。

しかし、訴訟では、事故後に時間をかけて記録を読み返し、専門家の意見を聞き、文献を確認した上で、過去の判断を評価します。

この構造上、後知恵の危険があります。

当時の医師が置かれていた状況ではなく、結果が分かった後の視点から、「こうすべきだった」と評価されてしまう危険です。

医療訴訟では、この後知恵を排除することが重要です。次のような点を丁寧に整理しなければなりません。

  • 当時、医師はどのような情報を持っていたのか
  • その時点で何を疑うべきだったのか
  • どの検査や処置を行うことが現実的だったのか
  • 当時の医療水準に照らして、どの判断が合理的だったのか

医療訴訟では、結果が重大であればあるほど、裁判所も「何かできたのではないか」と考えがちです。

死亡事案や重篤な後遺障害事案では、特にそうです。

しかし、医療行為は結果責任ではありません。

重大な結果が生じたからといって、直ちに過失が認められるわけではありません。

この原則を裁判所に理解してもらうためには、具体的な医学的説明が必要です。

単に「不可避であった」と主張するだけでは足りません。次のような点まで具体的に説明する必要があります。

  • なぜ不可避だったのか
  • どの時点でどのような情報しかなかったのか
  • 標準的医療水準に照らして、どのような判断が合理的だったのか
  • 他の対応をしていたとしても、結果を回避できたといえるのか

専門家意見は、絶対ではない

また、医療訴訟では鑑定や専門家意見書も重要になります。

裁判官は医学の専門家ではないため、専門家の意見に大きく影響されることがあります。

しかし、専門家意見も常に絶対ではありません。次のような点を検討する必要があります。

  • 専門家の専門分野が事案に合っているか
  • 意見の前提事実が正しいか
  • 当時の医療水準を踏まえているか
  • 後知恵になっていないか
  • 臨床現場の実情を踏まえているか

相手方の専門家意見に問題がある場合には、具体的に反論しなければなりません。

単に「当方は争う」と述べるだけでは不十分です。次のような点を整理して反論する必要があります。

  • どの前提が誤っているのか
  • どの医学的評価が不合理なのか
  • どの文献やガイドラインとの関係で問題があるのか
  • 当時の診療現場ではなぜその対応が困難だったのか

この作業にも、医学的理解が不可欠です。

判決と医師の理解が、なぜすれ違うのか

医療訴訟の判決が医師から見て不可解に見える理由の一つは、裁判所が見ている資料と、医師が前提としている医学的理解が一致していないことにあります。

医師は、自分の医学知識や臨床経験を前提に判決を読みます。

しかし、裁判所は、訴訟で提出された主張と証拠を前提に判断します。

医師から見れば当然の医学的背景も、訴訟で十分に主張されていなければ、判決には反映されません。

そのため、医師が判決を読んで「なぜこの点を考慮していないのか」と感じる場合でも、実はその点が訴訟で十分に主張されていなかった可能性があります。

逆に、主張されていたとしても、証拠として不十分だった可能性があります。

また、裁判官がその医学的意味を十分に理解できなかった可能性もあります。

このように、不可解な判決の背景には、次のような複数の要因があります。

  • 弁護士の主張立証の問題
  • 裁判官の医療理解の問題
  • 専門家意見の質の問題
  • 後知恵の問題
  • 医療現場と裁判手続の構造的な違い

これらが重なることで、医師から見て違和感のある判決が生まれることがあります。

不可解な判決を減らすための、5つの視点

では、どうすればよいのでしょうか。

1. 医療訴訟では、初期段階から医学的争点を正確に整理する必要があります。

    • 診療経過を時系列で整理する
    • 問題となる判断時点を特定する
    • 当時の医療水準を確認する
    • 過失と因果関係を分けて検討する
    • 有利な事情と不利な事情を整理する

この作業を早期に行うことが重要です。

2. 医師と弁護士が十分にコミュニケーションを取る必要があります。

医師は、医学的に重要な点を弁護士に説明する必要があります。弁護士は、それを理解した上で、法的に意味のある主張に整理する必要があります。ここで意思疎通がうまくいかなければ、重要な医学的ポイントが裁判所に伝わりません。

3. 裁判所に伝わる書面を作る必要があります。

医師向けの説明と、裁判官向けの説明は異なります。裁判官に対しては、医学的専門用語を並べるだけでは足りません。なぜその医学的事実が、過失や因果関係の判断に影響するのかを、法律上の争点と結びつけて説明する必要があります。

4. 後知恵を排除する主張を意識する必要があります。

    • 事故後に分かった情報ではなく、当時の医師が持っていた情報に基づいて判断する
    • 結果から逆算しない
    • 当時の医療現場の制約を具体的に示す

この視点が重要です。

5. 専門家意見を適切に活用する必要があります。

    • 必要な場合には、適切な専門医の意見を得る
    • 相手方意見書に問題があれば、医学的に反論する
    • 鑑定に進む場合には、鑑定事項を慎重に検討する

これらが必要です。

医学と法律をつなぐ能力が、代理人に求められる

医師から見て不可解な医療判決を減らすためには、医療訴訟に関与する弁護士の専門性が重要です。

医療を理解しない弁護士が担当すれば、医学的に重要な点が裁判所に伝わらない可能性があります。

その結果、医師から見て納得しにくい判決が生まれることがあります。

医療訴訟は、医学的真実をそのまま裁判所が発見してくれる手続ではありません。

当事者が主張し、証拠を提出し、裁判所に理解してもらう必要があります。

だからこそ、医師側代理人には、医学と法律をつなぐ能力が求められます。

医師から見て不可解な判決が生まれる背景には、裁判所だけでなく、代理人の問題もあります。

医療訴訟において、医師や病院を本当に守るためには、裁判所が誤解しないように、医学的内容を正確に、分かりやすく、法的に意味のある形で伝えることが必要です。

それができなければ、医師にとって不本意な結論が出ることもあります。

医療訴訟では、医療の専門性と法的手続の専門性が交差します。

その交差点を正しく理解できる弁護士が関与することが、医師や病院にとって極めて重要であると考えています。