医療紛争が発生したとき、多くの医師はまず保険会社や医師会に連絡します。
医師賠償責任保険に加入している以上、それ自体は自然な対応です。
保険会社に事故報告を行い、医師会を通じて相談し、そこから弁護士が紹介されます。
多くの医療紛争では、このような流れで対応が始まります。
しかし、ここで一つ重要な問題があります。
それは、医師本人が、自分の代理人となる弁護士を主体的に選べているのかという問題です。
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医療紛争が発生したとき、多くの医師はまず保険会社や医師会に連絡します。
医師賠償責任保険に加入している以上、それ自体は自然な対応です。
保険会社に事故報告を行い、医師会を通じて相談し、そこから弁護士が紹介されます。
多くの医療紛争では、このような流れで対応が始まります。
しかし、ここで一つ重要な問題があります。
それは、医師本人が、自分の代理人となる弁護士を主体的に選べているのかという問題です。
医療紛争において、弁護士は単なる手続代行者ではありません。
医師の診療行為を理解し、医学的な争点を整理し、患者側の主張を分析し、保険会社との関係も踏まえながら、最終的にどのような解決が医師本人や医療機関にとって最善なのかを考える存在です。
その意味で、弁護士選任は極めて重要です。
ところが実務上は、医師本人が十分に比較検討して弁護士を選ぶというより、保険会社や医師会から紹介された弁護士がそのまま担当することが少なくありません。
もちろん、紹介された弁護士が優秀で、医療紛争にも精通しており、医師本人との相性も良いのであれば、大きな問題はありません。
しかし、常にそうとは限りません。次のような弁護士が担当してしまうケースもあります。
このような弁護士が医療紛争を担当してしまうと、医師本人にとって大きな負担になります。
本来、弁護士は依頼者の負担を軽減する存在です。
しかし、医療を理解していない弁護士が担当すると、医師は弁護士に対して一から医学を説明しなければなりません。
疾患の概要、検査の意味、画像所見、検査値、治療選択肢、ガイドライン、標準的医療水準、当時の医療現場の制約、緊急性の判断、患者背景、合併症リスクなど、医師にとっては当然の前提を、弁護士に時間をかけて説明する必要があります。
もちろん、通常の弁護士でも、時間をかけて医師と十分にコミュニケーションを取れば、医療訴訟を担当することは不可能ではありません。
実際、多くの優れた弁護士は、専門家の協力を得ながら、医療事件に真摯に取り組んでいます。
しかし、医療訴訟は、通常の民事事件とは異なる専門性があります。
これらがなければ、医療訴訟を適切に進めることは困難です。
私は、医師でもあり弁護士でもあります。
その立場からすると、医療事件において、医師と弁護士の間で医学的前提を共有できているかどうかは、事件処理の質と速度に大きく影響します。
医師が説明した内容を、弁護士がその場で理解できるか。
弁護士が、診療録のどこが重要かを自分で判断できるか。
医学的に争うべき点と、争っても意味がない点を切り分けられるか。
これらができるかどうかで、事件の進行は大きく変わります。
医師側に責任がない事案であれば、どの点に過失がないのか、どの点で因果関係が否定されるのかを明確に主張する必要があります。
一方で、医師側に責任が認められる可能性が高い事案であれば、無理に争い続けるのではなく、早期に合理的な解決を図るべきです。
この判断ができない弁護士が担当すると、医療紛争は無駄に長期化します。次のようなことが起こります。
医療紛争において、判決まで行くことが常に悪いわけではありません。
重要な医学的争点があり、医師側の名誉や医療機関の信用に関わる場合には、最後まで争う必要があります。
また、患者側の請求が過大であったり、医学的に不合理であったりする場合にも、安易に和解すべきではありません。
しかし、負ける可能性が高い事件を、ただ長引かせることは、医師や病院のためにはなりません。
医師にとっては、長期間にわたって精神的負担を抱え続けることになります。
病院にとっては、医療安全管理部門、事務部門、関係医師、看護師など、多くの関係者が訴訟対応に時間を取られます。
保険会社にとっても、最終的に支払う金額が増える可能性があります。
患者側との対立も深まり、結果として誰の利益にもならないことがあります。
だからこそ、医療紛争における弁護士には、争う能力だけでなく、解決する能力が必要です。
そして、その前提として、医師本人が信頼できる弁護士を選べることが重要です。
医師賠償責任保険に加入しているからといって、医師本人が弁護士選任について完全に受け身でよいわけではありません。
むしろ、医師本人は、自分の事件を誰に任せるのかについて、もっと主体的であるべきです。
その弁護士は医療事件の経験があるのか。
診療録を読めるのか。
医師と医学的な議論ができるのか。
早期解決と徹底抗戦の判断ができるのか。
保険会社の意向だけでなく、医師本人の利益をきちんと考えてくれるのか。
これらは、弁護士選任において非常に重要な視点です。
また、保険会社や医師会の側にも、制度設計上の配慮が必要です。
保険会社や医師会が弁護士を紹介すること自体は、必ずしも悪いことではありません。
医師が自分で弁護士を探すことが難しい場合、信頼できる弁護士を紹介する仕組みは有益です。
しかし、その仕組みが固定化し、特定の弁護士だけが継続的に紹介され、医師本人が実質的に選択できない状態になっているとすれば、問題があります。
医療紛争の代理人は、医師本人にとって極めて重要な存在です。
医師本人の職業人生や名誉に関わることもあります。
そうである以上、医師本人が納得して弁護士を選べる仕組みが必要です。
少なくとも、紹介された弁護士に不安がある場合、別の弁護士に相談できる余地がなければなりません。
また、保険会社が弁護士費用を負担する場合であっても、医師本人の利益と保険会社の利益が常に完全に一致するとは限りません。
医師本人は、名誉や評判を重視するかもしれません。
病院は、早期解決による経営上の安定を重視するかもしれません。
保険会社は、支払額の抑制や事案処理の効率性を重視するかもしれません。
それぞれの利害は重なる部分もありますが、完全に同じではありません。
だからこそ、弁護士は、誰の代理人なのかを明確に意識する必要があります。
医師本人の代理人であるならば、医師本人の利益を最優先に考えるべきです。
保険会社との関係があるとしても、医師本人の意向や利益を軽視してはなりません。
医師会との関係があるとしても、医師本人の信頼を得られないまま事件を進めるべきではありません。
医療紛争では、医学的な専門性だけでなく、依頼者との信頼関係が極めて重要です。
医師は、自分の診療に関する不安、後悔、判断の根拠、当時の状況、医療現場の制約などを、弁護士に率直に伝える必要があります。
弁護士は、それを受け止めた上で、法的に意味のある主張と、感情的には理解できても法的には通りにくい主張を整理しなければなりません。
この関係がうまく機能しなければ、医療紛争は適切に解決できません。
医師賠償責任保険は、医師を守るための制度です。
しかし、医師本人が自分の弁護士を十分に選べないのであれば、その制度は不完全です。
医療紛争において、弁護士選任は単なる事務手続ではありません。
事件の方向性を決める最も重要な出発点です。
医師本人が、自分の代理人を納得して選べること。
医学的争点を理解できる弁護士が関与すること。
争うべき事件と解決すべき事件を適切に見極めること。
これらが実現されて初めて、医師賠償責任保険は、本当に医師を守る制度として機能するといえるのではないでしょうか。
執筆:弁護士 鈴木 孝昭(MIA法律事務所)