医療訴訟に関わっていると、ある共通した構図に繰り返し直面します。
それは、現場の医療と「理想的医療」との混同です。
今回は、鼠蹊ヘルニアなどの外科処置を行うクリニックにおける鎮静管理を題材に、この問題を考えてみます。
※本稿は特定の事案を前提としたものではなく、一般的な論点整理です。
Column
医療訴訟に関わっていると、ある共通した構図に繰り返し直面します。
それは、現場の医療と「理想的医療」との混同です。
今回は、鼠蹊ヘルニアなどの外科処置を行うクリニックにおける鎮静管理を題材に、この問題を考えてみます。
※本稿は特定の事案を前提としたものではなく、一般的な論点整理です。
外科系クリニックで行われる処置の多くは、全身麻酔ではなく「鎮静」です。
鎮静とは、次のような医療行為です。
一方、全身麻酔は以下を前提とする、まったく異なる医療です。
ところが訴訟では、この二つが意図的または無意識に混同されることがあります。ここが議論の出発点として極めて重要です。
医療には段階があります。
この3つは同じではありません。
例えば、以下のような体制は確かに望ましいものです。
しかし、それがそのまま法的義務になるわけではありません。特に開業クリニックでは、以下の条件の中で、合理的な医療が構築されています。
大学病院レベルの体制をそのまま当てはめるのは、現実と乖離しています。
また、肥満(BMI)がリスクとして指摘されることがあります。しかし実務的には、以下のような要素が大きく、単純な数値だけでリスクを断定することはできません。
また、ある数値基準が存在するとしても、それがそのまま法的義務になるわけではないという点も重要です。
医療訴訟で最も注意すべき点の一つが、結果論バイアスです。患者さんに重大な結果が生じた場合、「だから過程も悪かったはずだ」という評価になりがちです。
しかし医療は本質的にリスクを伴います。適切に行われていても、一定の確率で合併症や急変は起こり得ます。本来評価されるべきなのは、次のようなプロセスです。
鼠蹊ヘルニアなどのクリニック医療は、以下を前提として設計されています。
その中で、鎮静は次のような重要な役割を担っています。
これを過度に制限すれば、逆に患者の不利益につながります。
仮に、以下のような体制がすべてのクリニックに要求されるとすれば、多くの外科系クリニックは成り立たなくなります。
結果として、以下のような現実的な問題が生じます。
医療訴訟では、以下の点を正確に整理することが不可欠です。
医療は「完璧」であることを求められているのではなく、その時点で合理的であったかどうかで評価されるべきものです。この視点を外した議論は、現場の医療を歪める危険があります。