医師として臨床に立ち、弁護士として法廷や交渉の現場に立つと、いずれの場面でも「問題解決力」とは単なる知識の多寡ではないことを痛感します。
むしろ重要なのは、「何が問題の本質か」を正確に見抜く構造的な視点です。
医療現場では、症状という”結果”の背後に、病態という”原因”があります。法律の世界でも、トラブルの背後には制度設計や関係性の歪みという”原因”が存在します。両者に共通するのは、表面ではなく”構造”を見る力がなければ、真の解決にはたどり着けないという点です。
Column
医師として臨床に立ち、弁護士として法廷や交渉の現場に立つと、いずれの場面でも「問題解決力」とは単なる知識の多寡ではないことを痛感します。
むしろ重要なのは、「何が問題の本質か」を正確に見抜く構造的な視点です。
医療現場では、症状という”結果”の背後に、病態という”原因”があります。法律の世界でも、トラブルの背後には制度設計や関係性の歪みという”原因”が存在します。両者に共通するのは、表面ではなく”構造”を見る力がなければ、真の解決にはたどり着けないという点です。
たとえば医療法人の経営紛争や家族間の財産争いでは、表面上は「誰が悪いか」という感情論に流れがちです。
しかし、問題を因果でとらえると、必ず「どの時点で何を判断し、どこで誤ったか」というプロセスが見えてきます。
感情をいったん横に置き、事実を因果で整理する。
この作業こそが、医療でも法律でも最も重要な“初期診断”です。
問題を解くには、正義よりも「順序」を整える力が求められます。
たとえば不正や背任が疑われる医療法人では、理事会決議・社員総会・除名手続といった複数の法的ルートが同時に走ります。
その中で「どの順に動けばリスクを最小化できるか」を見極めることが、現実の意味での”解決”につながります。
医師が治療の優先順位を決めるように、弁護士もまた、実務の中で優先順位を設計する必要があるのです。
法的手段は対立を生む道具ではなく、再構築のための道具です。
問題が起きたとき、人は往々にして「誰かを責める」方向へ進みますが、それでは組織も家族も修復できません。
感情を沈め、仕組みを正す。
それが、問題解決を”終わり”ではなく”再生”に変える鍵になります。
問題の核心は、法の条文にも医学の教科書にも書かれていません。
それは「人と仕組みの交点」にあります。
だからこそ私は、医師としての現場感覚と弁護士としての論理を往復しながら、問題の構造を可視化し、誰もが納得できる形で解決へ導くことを目指しています。