「電気自動車(EV)はエコだ」
そう聞くと、多くの人が疑いもなくうなずきます。政府が推進し、マスコミが報じれば、あたかもそれが唯一の「正解」であるかのように受け止める。それが今の日本社会の姿です。
しかし、実際にはどうでしょうか?
電気自動車のバッテリー生産には大量の希少金属が必要で、それを採掘するために自然が破壊され、人権問題さえ指摘されています。さらに、バッテリーの処分方法は未だ確立されておらず、将来は「動かない巨大な粗大ゴミ」として社会問題になる可能性すらあります。
Column
「電気自動車(EV)はエコだ」
そう聞くと、多くの人が疑いもなくうなずきます。政府が推進し、マスコミが報じれば、あたかもそれが唯一の「正解」であるかのように受け止める。それが今の日本社会の姿です。
しかし、実際にはどうでしょうか?
電気自動車のバッテリー生産には大量の希少金属が必要で、それを採掘するために自然が破壊され、人権問題さえ指摘されています。さらに、バッテリーの処分方法は未だ確立されておらず、将来は「動かない巨大な粗大ゴミ」として社会問題になる可能性すらあります。
私は弁護士として、こうした「見えにくい真実」に日々向き合っています。社会の大多数がある方向を向いていても、その陰に置き去りにされた一人の声を拾い上げるのが、私たちの仕事です。10,000人中9,999人が「敵」になっても、たった一人の依頼者のためにその全てを相手取る。それが弁護士の覚悟です。
孤独な戦いの中で、依頼者はしばしば心細さに打ちひしがれます。だからこそ、私たちは単に法律問題を解決するだけでなく、人生の伴走者として寄り添い、未来への道筋まで一緒に考えることが求められます。
電気自動車を「エコ」と信じて疑わない風潮もまた、見えない声を切り捨てる構造の一つかもしれません。だからこそ、誰かがその矛盾に気づき、問いを発する必要があります。そして、それができるのが、私たち弁護士の役割なのだと、私は考えています。