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専門訴訟とは何か――医療訴訟と特許訴訟から考える弁護士の専門性

弁護士であれば、すべての事件を当然に扱える。

このように考えている人は、一般の方だけでなく、弁護士業界の中にも少なくないように感じます。

もちろん、弁護士は法律の専門家です。

民事、刑事、家事、企業法務、労働、交通事故、相続、離婚、医療、知財、税務、行政、倒産など、さまざまな分野について、法的な考え方を用いて問題を整理する能力が求められます。

しかし、だからといって、すべての弁護士がすべての事件を同じ質で扱えるわけではありません。

特に、専門訴訟については、この点を強く意識する必要があります。

専門訴訟とは、法律知識だけでは足りない訴訟

専門訴訟とは、単に法律知識だけではなく、その分野固有の専門知識が不可欠となる訴訟です。

医療訴訟は、その典型です。

医療訴訟では、診療録を読み、検査値や画像所見を理解し、疾患の病態を把握し、当時の医療水準を確認し、医師の判断が医学的に合理的であったかを検討しなければなりません。

その上で、過失、因果関係、損害という法律上の争点に整理する必要があります。

ここでは、法律知識だけでは不十分です。

医学的な理解がなければ、何が重要な事実なのか分かりません。

どこを争うべきかも分かりません。

どこは争っても意味がないのかも分かりません。

医師の説明を理解できず、裁判所に伝わる形に翻訳できなければ、医療訴訟を適切に進めることは困難です。

医師の世界と同じく、弁護士にも専門分野がある

この点は、特許訴訟を考えると分かりやすいと思います。

特許訴訟では、法律だけでなく、技術内容の理解が不可欠です。

機械、化学、バイオ、ソフトウェア、通信、医薬品など、対象となる技術分野によって必要な理解は大きく異なります。

特許権侵害訴訟では、特許請求の範囲を解釈し、対象製品や方法が構成要件を充足するかを検討します。

無効論では、先行技術、進歩性、新規性、記載要件などが問題になります。

これらを適切に扱うためには、法律だけでなく、技術内容を理解する力が必要です。

もちろん、弁理士や技術専門家と協力すれば、通常の弁護士でも特許訴訟を担当することは不可能ではありません。

しかし、だからといって、特許訴訟を専門としていない弁護士が、安易に特許訴訟を受けるべきかというと、私はそうは思いません。

私は、医療訴訟については、医師としての知識と弁護士としての知識の両方を活かして対応しています。

一方で、特許訴訟については、自分がその分野の専門家であるとは考えていません。

仮に、弁理士や技術者と密に連携し、相当な時間をかければ、対応できる事件もあるかもしれません。

しかし、それであれば、最初から特許訴訟を専門的に扱っている弁護士に依頼する方が、依頼者にとって合理的です。

これは、逃げでも消極的姿勢でもありません。

むしろ、専門性に対する当然の敬意です。

医療の世界では、専門分野の違いは明確です。

眼科医が心臓外科手術をすることはありません。

整形外科医が脳外科手術を担当することもありません。

内科医であっても、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、腎臓内科、血液内科、膠原病内科など、それぞれ専門があります。

もちろん、医師であれば基本的な医学知識は共有しています。

しかし、専門的な診療については、その分野を日常的に扱っている医師が担当するのが当然です。

この感覚からすると、弁護士業界には不思議なところがあります。

弁護士であれば、どのような事件でも対応できるかのように考えられていることがあるからです。

しかし、実際には、事件分野ごとに必要な知識、経験、判断力は大きく異なります。

医療訴訟、特許訴訟、税務訴訟、金融商品取引をめぐる訴訟、建築訴訟、行政訴訟、倒産事件、大規模企業紛争などは、それぞれ専門性が必要です。

法律論だけで処理できる事件ではありません。

専門分野の実務、業界構造、技術、会計、医学、行政手続、金融商品など、法律以外の知識が不可欠です。

専門家の意見を、法律上の主張に変換する力

もちろん、弁護士は専門家と協力することができます。

  • 医療事件であれば医師の意見を聞く
  • 特許事件であれば弁理士や技術者の意見を聞く
  • 税務事件であれば税理士や公認会計士の意見を聞く
  • 建築事件であれば建築士の意見を聞く

これは重要です。

しかし、外部専門家に聞けばよいというだけでは不十分です。

弁護士自身が、その専門家の説明を理解し、法律上の主張に変換できなければ意味がありません。

専門家の意見をそのまま書面に貼り付けるだけでは、訴訟活動にはなりません。

専門家の意見のどこが法的に重要なのか。

どの事実認定につながるのか。

相手方の主張に対して、どのように反論するのか。

裁判所にどの順番で説明すれば理解されるのか。

これを整理するのは弁護士の仕事です。

そのためには、弁護士にも一定の専門理解が必要です。

医療訴訟であれば、医師の説明を理解できること。

特許訴訟であれば、技術者や弁理士の説明を理解できること。

税務訴訟であれば、税務処理や会計処理の意味を理解できること。

専門訴訟では、この前提が欠かせません。

専門性がないまま専門訴訟を受けると、何が起こるか

専門性がないにもかかわらず、専門訴訟を受けることは、依頼者にとって危険です。

  • 弁護士が一から勉強しながら進めることになるため、時間がかかります
  • 争点整理が遅れます
  • 相手方の主張の重要性を見誤る可能性があります
  • 裁判所に伝わる主張ができない可能性があります
  • 早期和解すべき事案か、徹底的に争うべき事案かの判断も難しくなります

依頼者から見れば、弁護士に依頼した以上、当然に専門的に対応してもらえると思うかもしれません。

しかし、実際には、弁護士の専門性には大きな差があります。

だからこそ、弁護士自身が、自分の専門性の限界を自覚することが大切です。

  • 専門外の事件を安易に受けない
  • 受ける場合には、必要な専門家と連携し、自分がどこまで対応できるのかを依頼者に説明する
  • より適切な専門家がいる場合には、紹介する

これは、弁護士として当然の誠実さだと思います。

医師であれば、自分の専門外の高度な診療について、適切な専門医に紹介します。

それは患者のためです。

自分で診たい、自分で治療したいという気持ちよりも、患者にとって最善の医療を優先します。

弁護士も同じであるべきです。

依頼者にとって最善の解決を考えるのであれば、自分がその事件に最も適した弁護士なのかを冷静に考える必要があります。

医療訴訟についていえば、医療を理解しない弁護士が担当することは、医師や病院にとって大きなリスクです。

医師側の責任がない事案であっても、適切に主張立証できなければ、不利な判断を受ける可能性があります。

責任がある事案であっても、早期解決の判断を誤れば、紛争が長期化し、医師や病院の負担が増えます。

相手方の医学的主張に問題があっても、それを見抜けなければ、裁判所に誤った心証を与える可能性があります。

医療訴訟は、医師や病院の名誉、信用、経営、将来の診療体制に関わる重要な事件です。

単に弁護士が付けばよいというものではありません。

誰が担当するのかが極めて重要です。

同じように、特許訴訟であれば、技術と知財訴訟に精通した弁護士が必要です。

税務訴訟であれば、税法と会計実務を理解した弁護士が必要です。

建築訴訟であれば、建築実務や構造に関する理解が必要です。

専門訴訟には、専門訴訟にふさわしい代理人が必要です。

事件を扱ったことがある、だけでは専門性とはいえない

弁護士業界では、「専門性」という言葉が安易に使われることがあります。

しかし、本当の専門性とは、単にその分野の事件を扱ったことがあるということではありません。

その分野の構造を理解し、専門家と対話でき、争点を見抜き、訴訟上の主張に落とし込み、依頼者に見通しを示せることです。

さらに、争うべき事件と解決すべき事件を見極める力も必要です。

  • 医療訴訟において、医師と対等に話ができること
  • 診療録を読み、医学的争点を把握できること
  • 患者側の主張のどこが医学的に問題なのかを理解できること
  • 医師側に不利な事情がある場合には、それを率直に説明できること
  • 裁判所に伝わる言葉で主張できること

これらがあって初めて、医療訴訟における専門性といえるのではないでしょうか。

依頼者にとって最善の選択肢を示すために

私は、弁護士が自分の専門性を過信することは危険だと考えています。

医師が専門外の手術を安易にしないように、弁護士も専門外の訴訟を安易に受けるべきではありません。

もちろん、すべての事件について完全な専門家だけが担当できるわけではありません。

地方や小規模事務所では、幅広い事件を扱わなければならないこともあります。

しかし、その場合でも、自分がどこまで理解しているのか、どこに限界があるのかを自覚し、必要に応じて外部専門家と連携する姿勢が必要です。

専門訴訟とは、法律だけでなく、その分野固有の専門知識を法律に結びつける訴訟です。

医療訴訟は、その代表例です。

そして、専門訴訟を適切に扱うためには、弁護士自身が専門性に対して謙虚でなければなりません。

依頼者にとって大切なのは、弁護士が何でもできますと言うことではありません。

その事件を本当に理解し、適切に対応できる弁護士に依頼することです。

弁護士にとって大切なのは、自分ができることとできないことを見極め、依頼者にとって最善の選択肢を示すことです。

医療訴訟においても、特許訴訟においても、その他の専門訴訟においても、この姿勢は変わりません。

専門性を軽視することは、依頼者の利益を軽視することにつながります。

専門訴訟では、専門性のある弁護士が関与すべきです。

そして、弁護士自身も、自分の専門性と限界を正しく理解するべきだと考えています。


執筆:弁護士 鈴木 孝昭(MIA法律事務所)