Column

医療を理解しない弁護士が医療訴訟を担当する危険性

医療訴訟は、専門訴訟です。

これは、単に医療に関する事件だから難しいという意味ではありません。

医療訴訟では、医学的な事実を理解し、それを法律上の争点に整理し、裁判所に伝わる形で主張立証しなければなりません。

この作業には、通常の民事事件とは異なる専門性が必要です。

医療訴訟で問題となるのは、単に「悪い結果が生じた」ということではありません。次のような点を一つ一つ検討する必要があります。

医師に過失があったのか
当時の医療水準に照らして、どのような診療が求められていたのか
その医療機関の役割、設備、人員体制、緊急性、患者の状態を踏まえて、当該医師の判断が不合理であったといえるのか
仮に過失があったとして、その過失と患者の結果との間に法的な因果関係があるのか
損害はどの範囲で認められるのか

そのためには、医学と法律の両方を理解する必要があります。

理解不足の弁護士が起こす、診療録の読み違い

ところが、医療訴訟の現場では、医療の基本的な理解が十分でない弁護士が、医療事件を担当していることがあります。

もちろん、弁護士が医師と同じレベルで医学を理解する必要があるわけではありません。

医師でなければ医療訴訟を担当できないということでもありません。

しかし、医療訴訟を担当する以上、最低限、医師と実質的な会話ができる程度の医学的理解は必要です。次のような状態では、医療訴訟を適切に担当することはできません。

  • 医師が何を説明しているのか理解できない
  • 診療録のどこが重要なのか分からない
  • 検査値の意味が分からない
  • 画像所見の意味が分からない
  • 術前評価、術後管理、鑑別診断、合併症、標準的治療などの基本的な概念が分からない

このような状態で医療訴訟を担当すると、事件処理は極めて不安定になります。

医療訴訟では、最初の事案把握が非常に重要です。

診療録を読み、時系列を整理し、どの時点で何が起きたのか、誰が何を判断したのか、その判断が医学的に妥当だったのかを確認する必要があります。

医療記録には、多くの情報が含まれています。

医師記録、看護記録、検査結果、画像、手術記録、麻酔記録、説明同意書、紹介状、退院サマリー、カンファレンス記録、インシデントレポートなど、さまざまな資料があります。

しかし、すべての記載が同じ重要性を持つわけではありません。次のような判断が必要になります。

  • どの記載が法的に重要なのか
  • どの記載が医学的に決定的なのか
  • どの記載は一見重要そうに見えても、実際には大きな意味を持たないのか

これを判断するには、医学的な理解が不可欠です。

医療を理解していない弁護士は、この切り分けができません。

その結果、重要でない事実にこだわり、本当に重要な事実を見落とすことがあります。

あるいは、医師が説明している重要な医学的ポイントを理解できず、訴訟上の主張に反映できないことがあります。

医師側に有利な事情があるにもかかわらず、それを十分に主張できないことがあります。

反対に、医師側に不利な事情があるにもかかわらず、そのリスクを正しく評価できないことがあります。

このようなことが起きます。

医師の「当然」は、裁判所の「当然」ではない

医療訴訟では、主張立証責任も重要です。

裁判は、裁判官がすべての事実を自分で調べて真実を探しに行く手続ではありません。

民事訴訟では、基本的に当事者が主張し、証拠を提出し、その範囲で裁判所が判断します。

つまり、弁護士が適切に主張立証しなければ、本来認められるべき事情も裁判所に伝わりません。

医療訴訟において、医学的に正しいことと、訴訟で勝てることは同じではありません。

医師から見れば当然のことでも、裁判所に伝わる形で主張し、証拠化しなければ、判決には反映されません。

医師が「そんなことは医学的に当然だ」と考えていても、裁判所にとって当然とは限りません。

むしろ、裁判官は医師ではありません。

医学的な前提知識が十分でないこともあります。

そのため、弁護士は、医学的な内容を裁判官に分かる言葉に翻訳しなければなりません。

この翻訳作業こそ、医療訴訟における弁護士の重要な役割です。

しかし、弁護士自身が医学的内容を理解していなければ、翻訳することはできません。

医師の説明をそのまま書面に写しても、裁判所に伝わるとは限りません。

医学的な専門用語を並べるだけでは、法的主張にはなりません。

逆に、法律論だけを並べても、医学的な説得力がなければ医療訴訟では意味がありません。

医学的事実と法律構成を、どう結びつけるか

医療訴訟では、医学的事実と法律構成を結びつける必要があります。

例えば、過失を争うのであれば、当時の医療水準に照らして、どのような行為が求められていたのかを明らかにする必要があります。

その上で、当該医師の行為がその水準に反していないこと、あるいは反していたとしても結果との因果関係がないことを主張しなければなりません。

因果関係を争うのであれば、患者の基礎疾患、病態の進行、他の原因の可能性、治療介入の限界などを整理する必要があります。

損害を争うのであれば、死亡や後遺障害に至った経過、逸失利益、慰謝料、将来介護費、既往症の影響などを検討する必要があります。

これらは、医学と法律の接点にある作業です。

医療を理解していない弁護士が担当すると、この接点が曖昧になります。

その結果、次のような形式的な主張にとどまってしまいます。

  • 「過失はない」
  • 「因果関係はない」
  • 「損害は争う」

このような形式的な主張だけでは、医療訴訟では不十分です。次のような点を具体的に示す必要があります。

  1. なぜ過失がないのか
  2. なぜ因果関係がないのか
  3. 医学的にどの事実が重要なのか
  4. 診療録のどの記載がそれを裏付けるのか
  5. 相手方の医学的主張のどこが誤っているのか

早期の見通しを誤らないために

また、医療訴訟では、早期に見通しを立てることも重要です。次のような点を見極める必要があります。

  1. 医師側が勝てる事件なのか
  2. 一部責任が認められる可能性がある事件なのか
  3. 全面的に責任を否定するのは難しい事件なのか
  4. 和解を検討すべき事件なのか

この見極めができないと、事件は無用に長期化します。

医療を理解していない弁護士は、医学的リスクを正しく評価できないため、事件の見通しを誤ることがあります。

本来であれば早期和解を提案すべき事案で、無理に争い続けることがあります。

反対に、本来であれば争うべき事案で、安易に和解を勧めることがあります。

いずれも依頼者の利益を害します。

弁護士の仕事は、依頼者の感情に迎合することではありません。

医師が「絶対に自分は悪くない」と言っているからといって、弁護士がそのまま徹底抗戦を選ぶべきとは限りません。

逆に、医師が不安を感じているからといって、法的責任がない事案で安易に謝罪や賠償に進むべきでもありません。

弁護士は、事実と証拠に基づいて、冷静に見通しを示す必要があります。

そのためには、医学的な判断の前提を理解していることが不可欠です。

医療訴訟が持つ、独自の難しさ

医療訴訟を、一般の損害賠償事件と同じ感覚で処理することは危険です。

医療訴訟には、独自の難しさがあります。

医療行為は、常に不確実性を伴います。

同じ疾患でも、患者ごとに経過は異なります。

検査や治療には限界があります。

合併症はゼロにはできません。

一方で、医師には注意義務があります。

標準的医療水準に反する診療をすれば、法的責任が問われることがあります。

このバランスを理解しなければ、医療訴訟を適切に扱うことはできません。

医師側に立つ弁護士であっても、単に医師を守ればよいわけではありません。

医学的に問題がある事案では、その問題を直視する必要があります。

責任が認められる可能性が高いのであれば、そのことを医師や病院に率直に説明し、早期解決を提案することが必要です。

他方で、患者側の主張が医学的に不合理である場合には、専門的知見に基づいてきちんと反論する必要があります。

つまり、医療訴訟における弁護士には、医師側に都合のよいことだけを言うのではなく、医学的・法的に正しい見通しを示す能力が求められます。

医師を支えるために、弁護士に必要なこと

私は、医師から弁護士になった立場として、医療訴訟に関わる弁護士には、少なくとも医師と対等に議論しようとする姿勢と、そのための前提知識が必要だと考えています。次のような姿勢では、医師や病院を適切に守ることはできません。

  • 医師の説明を理解する努力をしない
  • 医学的争点を自分で整理しない
  • 専門家に丸投げする
  • 保険会社や医師会から紹介されているというだけで、惰性的に事件を処理する

医療訴訟は、医師の人生にも大きな影響を与えます。

訴訟で自分の診療が問題にされることは、医師にとって大きな精神的負担です。次のような場面に直面することもあります。

  • 裁判書面で自分の判断を批判される
  • 患者側から厳しい主張を受ける
  • 場合によっては、尋問で自分の診療について詳細に質問される

このような状況に置かれた医師を支えるには、弁護士側にも相応の専門性と責任感が必要です。次のようなことが求められます。

  1. 医師が安心して話せること
  2. 医師の説明を正確に理解できること
  3. 医療記録を読み解けること
  4. 事件の見通しを率直に伝えられること
  5. 必要なときには、早期解決を提案できること
  6. 争うべきときには、医学的根拠に基づいて徹底的に争えること

これらがなければ、医療訴訟の代理人として十分とはいえません。

医療を理解し、法律を理解し、依頼者の利益を考える

医療を理解しない弁護士が医療訴訟を担当する危険性は、単に弁護士の能力の問題にとどまりません。

それは、医師本人の利益、病院の利益、患者側との解決、裁判所の判断、さらには医療全体への信頼にも影響します。

医療訴訟は、専門訴訟です。

専門訴訟である以上、専門性を持つ者が、相応の責任を持って対応すべきです。

弁護士であれば何でもできるという考え方は、医療訴訟においては危険です。

医師が専門分野を大切にするように、弁護士も専門性の限界を自覚すべきです。

医療訴訟を担当するのであれば、医療を理解する努力をしなければなりません。

そして、医師や病院の側も、医療紛争を誰に任せるのかについて、もっと慎重に考える必要があります。

医療紛争は、単に弁護士が付けばよいというものではありません。

医療を理解し、法律に落とし込み、医師や病院にとって最も合理的な解決を図ることができる弁護士が必要です。

医師賠償責任保険の制度を利用する場合であっても、弁護士選任の重要性を軽視すべきではありません。

医師を守るためには、保険だけでなく、適切な代理人が必要です。

そして、適切な代理人とは、医療を理解し、法律を理解し、依頼者の利益を実質的に考えることができる弁護士であると考えています。


執筆:弁護士 鈴木 孝昭(MIA法律事務所)